タイトル『硝子の破片の雨』
最近、資料室と軍部に篭りっぱなしのマース・ヒューズ。一番、危ないのは彼だと、気付いていたのに私は
何もしなかった。
忠告はした。近づきすぎるな、と。
それに、私としても彼らに気付かれすぎるのは得策じゃなかった。
色々言い訳するようだけど、私は見殺しにしたのよ。私のために、ね。
そう言った時の、あなたの反応を私はきっと忘れない。
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右半身を引きずりながら、彼らの場所に向う。きっと、アイツといる。エンヴィーと。
だから、分かる。どこにいるのか。
向わなければ。
どうして、こうなったのか。
考えるまでもない。
思ってしまったからだ。死なせたくない、と。似ているこのヒトを。
自分に重ねてしまったから。
全身から針で刺されているような痛みが走る。
決して深くない傷だが、如何せん数が多すぎる。
深いのは右手。
完全に刺し貫かれたところ。そして勢いよく抜かれたところ。
もう、間に合わないかもしれない。
でも、賭けるしかない。そのために今、そこへ向わなければ。
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病院の屋上で私はエルリック兄弟の会話を聞いていた。
あの結晶のおかげで今までよりも鮮明に聞こえる。それに居場所も分かる。
賢者の石を諦めて他の方法を探すと言う兄弟。同室にいるヒューズとアームストロングに対して平常通りに。何も違和感なく。
けれども、付き合いが少しでも深くなればわかる。それが嘘であるいうこと。彼らの人と為りを知っていれば容易に分かる。
ヒューズたちにもそれが分かっていた。
「子供のクセに」
「まだまだ、子供のクセに」
だからこそ出たヒューズの感想。なぜか私も同時に声に出す。同じことを。
幾通りも考えてきた。彼らがここでこういう行動を起こす事も想定内。別段、驚く事はなく私は私で東部の方へロイ・マスタングと接触を
もつべきだ。これから、きっと関わってくるだろうから。ある程度の信用は、させておく必要がある。
契約主のために。
ホーエンハイムのために、最善を。
「近づきすぎよ。時期尚早だからね。これ以上、進むと死ぬ。」
でも、やっぱり、惜しい人物をみすみす亡くすのは得策じゃない。
だから私は今、足を向ける、中央司令部の資料室に。最後の忠告をしに。
「おまえさん、誰だ。」
そういえば、そうだった。この姿では初めてだったな。
「しがないバーの情報屋でしたよ、あなたに会ったときはね。」
「なるほど、やっぱり只者じゃあなかったわけ、だ!」
最後の一言と同時に、手に隠し持っていた小ナイフを投げつけてきた。眉間を狙って。
「はいはい、警戒心は必要だけど今は忠告聞いといて。でないとあなた確実に死ぬ道を辿るから。」
「そう言われて、すぐに信じられる、か!!」
次はナイフを連続二つ。
「な、に!?」
「隠し持っている事がわかってたから、避けるのも受け止めるのも簡単なのよ。」
最初のナイフは避けて、次の一手は受け止める。
避けたナイフはそのまま後ろの壁に突き刺さる。それを抜いて、私の手元には合計3本のナイフ。一歩ずつ確実に距離を縮める。
ヒューズも一歩後ろに下がろうとしたが、それは途中でやめたらしい。私が近づいて行くのを、待っている節があった。
ナイフを仕込んでいるのが分かった。どうやらこれが最後の一本らしい。
でも、
「投げない事を勧める。今のところは、あなたに害を与えようというのではないから。」
「今のところは、か。」
しっかりとこちらを見上げる顔に浮かぶのは、焦燥と疑心。私の隙を見逃さないように、いつでも対処できるように見ている。
さすがは、
「ロイ・マスタングを支えているだけはある。
あの戦場から帰ったあと、アイツは死ぬとばかり思ってたよ。」
(戦場、イシュヴァールの、か?)
「確か、だったか?お前さんが、イシュヴァールの戦場に居たっていうのか?」
「ええ、こちらの容姿で空にも浮かんでいたかしらねえ。」
「空?っ!?そうか、ロイの言っていたのは!?」
「今はそれはいいわ。」
やはり言っていたのか。あの時の事なんて、誰かに言えば、それこそ一蹴されそうな世迷言としか取れない事だというのに。それでも、言っていた。
この男に。アイツが。
マース・ヒューズに、ロイ・マスタングが、私のことを。戦場のあの時のことを。
やっぱり、死なせるには惜しい。
「夢の、ような出来事だと言っていたよ。俺も、何も言えなかったが。」
一瞬、力が抜けたようなヒューズに、一気に距離を縮める。3本のナイフがその顔に触れる位置まで。
「!?」
「動かない。」
この人は、ロイ・マスタングが世迷言にしか聞こえない事でも、話すことのできるヒト。
それだけの信用に足る、値するヒト。
もし、亡くしたら……。
ナイフをその顔に向けながら逡巡する思い。
「私にも、私の都合があって、ね。大事な人のために最善を尽くしたいの。」
「…」
「そのために、あなたには、」
「……」
「真実に近づいて欲しくないし、死んでもらいたくないの。時期尚早なのよ。」
「…ねえちゃんよ。俺は今、ここで殺される覚悟をしてたよ。」
「私の次に来るのは確実に、そのつもりのハズ。ウロボロスの刻印を持って、ね。」
視線が絡み合う。どちらの真意も溢さぬように。汲み取るように。
どれだけの沈黙か、先に破ったのはマース・ヒューズだった。
「残念だが、俺は、アイツを上に行かせる。そのための最善を尽くしたいんでね。」
その言葉、篭められている思いには、私も覚えがある。私がホーエンハイムに抱くものと同じ。
私の存在させてくれるヒト。
見つけてくれたヒト。迎えに来たヒト。
そのヒトが、生きている上で、私のできることはしたい。
そのための最善を尽くしている私。
誰が何といっても、変えられない望み。
ロイ・マスタングのために最善を尽くそうとする、彼。ああ、なんだ。
私と似ているんじゃない。死んでもらいたくないのは、私が嫌だから、か。
「誰が、何を言っても、もう決めてしまったのね。」
「ああ。忠告はきちんと受け取るさ。でも実行はしないだろうな。
それは、お前さんも分かるんじゃないか?」
「…これ、返すわ。気をつけなさい。」
ナイフを側にあった机に置き、踵を返す。
何を言っても無駄だと言うのなら、私は別の方向からこの人が生き延びるための道を探す。ほんの僅かしかない可能性だけれども。
死なせたくない。私と同じ、
大事なヒトのために最善を尽くそうとするこのヒトを。
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「ふうん、目の前に立ちはだかるのは邪魔するってわけ?」
エンヴィーを前に、ここに至った経緯を思い出す。
「ええ、あなた達は私に触れられない。傷なんて付けられない。
あなた達を、こちらに通したのは、私の扉なんだから。」
「まあ、ね。でもさあ、ホムンクルスは俺以外にもいるんだよ?七つの大罪なんだからさあ。」
確かに。
中央にいるのは、嫉妬、尊厳、怠惰、暴食、そして色欲。でも、
「一番厄介な、あんたを足止めしていれば何とかなるかもしれないからね。」
「へえ〜、面白いなあ。」
笑みを浮かべているヒトを見て、これほど不快になることはないだろう。不快感、というのではない。確実な黒い深い感情が腹の中に重くのしかかる。
面白い、という台詞からでてくるような感情ではない。
「あんたの変身能力は、一番厄介なのよ。それがあれば、近づく事はおろか相手の弱点になることもできる。」
何か口にしていないと、腹の中の不快に全身を侵されそうだ。
「へえ〜。」
「例えば、妻の姿になって夫を平然と撃ち殺すとか、ね。」
「ああ、そのシナリオは一応あるよ。でも、やっぱり最初はこの姿、でしょ?」
かなり露出の激しい格好をしていたエンヴィーが青い軍服を身に纏った女に変化してきた。その顔は、以前第5研究所でも見た。
「マリア・ロス少尉。」
「あったり〜。」
口調はエンヴィーで、声は少尉といういのはかなり違和感があった。
違和感の正体はそれだけではないけれども。
「それでもここからは通さない。触れられないならどうしようもないでしょ?」
「それが、そうでもないんだな〜。」
そうでも、ない?なにを言っている?
「あのお方に教えてもらったのさ。お前さあ……」
彼の最後の言葉は聞こえなかった。
幾千にも及ぶ硝子の砕ける轟音によって。
そして、私の上に降り注ぐ破片は多すぎて、
何も出来ずに蹲るしかなかった。
「じゃあねえ?門番さん。」
未だに振る注ぐ破片の中、僅かに見えた、足。
そこに手を伸ばす、が。
「っつ!?」
一際大きい、硝子の破片が掌を貫いた。
「あぁぁあああぁぁっ!?」
「あ〜らら、これは偶然だよ。だって俺たちにはお前に殺意をもった攻撃なんてできないんだから。」
心底愉快そうなロス少尉の声が聞こえる。
正直に言うと、私はたかを括っていた。こいつらに容易に攻撃されはしないだろうと。だから、立地に目を向けなかった。私はエンヴィーを路地裏に
追い詰めたと思っていた。ちょうど、袋小路だった。だから、見落としていた。
両側に窓硝子の、多く嵌った建物である事に。アイツは、ロス少尉に変化していた。身体だけは。
両腕は袋小路につけて別の何かに変化させていた。それを、壁面を通して硝子という硝子を割ってこちらに落としてきた。
でも、一体何に、変化させた?
「っあ!?」
刺し貫かれた手から衝撃が伝わる。否、今までも痛みが痺れるように伝わっていたからむしろこれは、痛みが肥大されて伝わってきた。
見てみると、ロス少尉が足で硝子を踏んでいた。
それが、ゆっくりと移動していく。
「っう、あ!?」
そうなれば自然と、傷は大きく広がっていくわけで。
「ああ、これくらいなら大丈夫なんだ。こっちに不都合なんてないじゃん。
あのお方はおっしゃったよ。俺たちはあんたを殺す事はできない。でも、拷問とか不慮の事故とかなら関係ないってさ。
殺意がなければ、ね。」
痛みで何も言葉が出ない。それどころか考えも纏まらない。痛みになれるどころかなれる前にじわりじわりと、新たに加わっていくのだから。
「だからさあ、不慮の事故作ったんだよ。窓際にさあ衝撃を与えたんだよ、ほら、こんな風に腕だけ、影にしてね。」
なるほど、夜闇にまぎれてその影は見えなくなっていたのか。
どうにか、顔を向ける。
苦痛に耐えながら。
「ふ〜ん、苦痛に満ちてる顔は結構、良いね。」
硝子から足を離し、何を思ったか、私の顎に手をかける。
「歪めさせたいなあ、だけど。
そろそろ行かないとね。だから、もうちょっと、ここで、」
「っつ、く、ああああああああっ!」
痺れているような感覚だった掌から熱さが生まれたかと思ったら全身に熱が広がる。その熱が、濡れた感触で体外に出て行くとそれに比例して、
熱の倍の衝撃が全身を伝わった。
「蹲っててよ。」
私は、エンヴィーの去るのを見送ることもできなかった。
自身に何が起こったのか把握するのに精一杯で、把握できた時には彼の姿はもうなかった。
私の掌にあった、硝子はすぐ側にうち捨てられていた。
賭けるしか、ない。
マース・ヒューズの洞察力に。彼のなった彼女には、泣き黒子がないことを気づく事に。
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