タイトル『紅玉の涙第一章』
「……」
「……」
情事の後、尚隆は酒盃を頼む。これは何百年たっても変わらないこと。妓楼でことが終わればいつも酒をのむ。王という身分であっても妓楼へ通うことはやめない。これは一種の彼にとってのけじめ。“皇后”を娶ることはない、という。前王の二の舞にはしない、という彼自身のけじめであった。
そこへ扉をたたくものがいた。尚隆が入るように促すとそこには、少年のような格好をしたものが入ってきた。別の客がまちがえて入ってきたというわけではないのは、その者の格好からわかった。それは、この店で下働きをする者の格好だったからだ。
少年は横になっている妓女を一瞥し尚隆に顔を向ける。
「ご注文の品です。」
尚隆は手で合図をし、そこにおくように指示をする。
「ほかに何か入用なものはございますか。」
側を通った彼に少し腑に落ちないことを感じたが尚隆はそのまま退室をするように合図を送った。そして、帰りに妓楼の女将に確認をとり玄英宮へと帰っていったのだった。
私は、独りでなければならない。私は、本当にこの世界のものなのだろうか。生きているのだろうか。生きても良いのだろうか。殺されるべきなのかもしれない。この世界の摂理に反した存在なのかもしれない。それでも、まだ、わたしは。
数日後。華やかな妓楼に尚隆は降り立った。目指すは、先日おとずれた妓楼。あの日初めて訪れた場所であったが、店の趣も主人の対応も彼の気に召したようだった。その店はできたばかりで新しかった。だからこそ期間限定でのサービスがあった。その一つが今日店に赴く彼の目的であった。
「まあ。いらっしゃいませ。風漢さま。」
店の者は前回、来たことを覚えていたらしく彼を快く出迎えた。しかし、それも道理だろう。彼の容姿は極めて目立つ。鍛え上げられた肉体は、着流している服の上からもわかる。黒く長い髪に切れ長の目をした端正な顔。年齢も見かけ上は二十代前半ならば、印象にも残るというもの。それに加えて、風漢…尚隆は前回、金額も高いものにしていた。よって、店のものには良い客、ということになるのだ。
「よう。女将。繁盛しているようだな。」
「ええ。おかげさまで。大分、常連のお客様も増えまして。風漢様にもぜひそのようになってもらいたいものですわ。」
「そうだな。この店の趣はけっこう俺好みだぞ。」
「まあ。ありがとうございます。今日はどうなさいます。」
「前回、聞いたものにしよう。」
このときの尚隆の顔は、まるでいたずら小僧のようだったと後々になって語られた。
扉をたたく音が聞こえ、尚隆は我知らずほくそ笑んだ。
「入れ。」
「失礼します。」
部屋に入った少年は、室内に妓女が居ないことに多少、不信感を覚えた。さらに付け加えれば、彼は、ここになぜ呼ばれたかを知らされていないのだった。手持ち無沙汰になったのか、少年は動きがぎごちない。その様子を見つつ、尚隆は自身のうちに確信めいたものを抱いた。
「あの、御用はなんで…」
「この店には今、期間限定のものがあってな、知っておるか。」
途中で遮られ、少年は出鼻をくじかれたような気がした。
なぜか、笑みつつ(あまり気のいい感じはしないが)自分を見てくる客。その視線が自分を嘗め回すように見ていることに少年は気付いていた。しかし、ここは『妓楼』。妓女を買う客に対して不遜な態度は厳禁。どんな客であっても、その前提は覆されない、というのがここで働いていく上での最低限かつ、必然の事項。
「いいえ。そのような催しがあることは存じておりますが、具体的には。」
「ここで、働く者すべてが夜伽の対象になる。」
「…」
「それも男女問わず、とな」
少年の思考が止まったのが分かった。今の言葉を、自分の中でどうにか解釈しようと試みていることも、そして理解に至りこの状況をどう回避するか考えているかも、手にとるように分かった。腐っても仙、否、神籍についたもの。長年の洞察力、推察力では、簡単によめるようだ。(使う場所が多少、場違いだが)
「、というそうだな。」
「…はい。」
くつくつと笑う相手に、少年――は一瞬とまどうように答えた。
「そう固くなるな。何も急に伽をさせようとは思っておらぬ。そうだな。まず、酒を用意してもらおうか。」
「かしこまりました。」
一度、退室していったの背中を思い浮かべながら、尚隆は独り呟く。
「さて、どうでるか。」
その表情は先ほどまでとは打って変わっていたことを知るものはいなかった。
「失礼します。」
酒を持って入ったは、男が臥牀でくつろいでいるのを確認し警戒を強めた。どうしたものかと迷っていると、男は側で酌をするように合図を送ってきた。も、自身では仕事であると割り切りたかった。だが、先刻の男の言葉が、どうしてもを臥牀に近づけさせなかった。
それほどまでにの動揺は激しかったのだ。まさか、女を抱くための妓楼で男に夜伽を申し込むものはいまい。それを、前提とした期間限定の催しだったのだ。まさか、こんな物好きが居ようとは。
「どうした?まさか、客に手酌で酒を飲めとでも言うつもりか?」
先ほどより、数段、低い声が臥牀から聞こえる。威圧感のある声。どうしても、逆らってはいけないような気にさせられた。そして、その声の源を確認する勇気はにはなかった。
「それとも、何かを期待しているのか。」
くつくつ、と意地の悪い声が聞こえる。
の顔に朱が走った。薄暗い部屋の中、それに気付いたのは当人のみか、それとも…それは二人のみが知ること。
一回、深呼吸をし、は覚悟を決めたように臥牀に近づく。
互いに沈黙の中、部屋には酒の匂いがだんだんと浸透していく。普段ならば、酒と妓女の焚くお香の香りとが混ざり合って独特の匂いが充満する。互いにそれを知っていたので今の状況になんとなく違和感があった。
「おまえも飲むか。」
どのくらいの時が経ったのか不意に尚隆が酒を勧めてきた。その言葉に、最初は否をしていただが、今日はこの客だけで仕事がおわりそうだ、と判断したため尚隆の誘いをいぶかしみながらうけた。先刻の警戒を解いたわけではなかったためだ。
「それでは、一杯だけいただきます。」
口に含んだそれは、口当たりがよかった。それだけに相当、上等なものであることがわかった。
安酒は口に含んだときにどことなく重く感じるものである。また、嚥下するときに喉に刺さるような感じがあるのだ。高級な酒になればなるほどそれらは感じることはなくまるやかで飲みやすくなるのだ。
ただ、その上等な酒にも落とし穴はあるのだが……
「おいしい。」
それまで、警戒していた声音とは明らかに別であった。の素直な感想であった。それを見、尚隆はもう一杯、と勧めてきた。どうしよう、と思いつつもはそれをうけた。警戒をといたわけではなかったが、男の飲んだ酒量を見、今夜は伽どうこうすることはないと考えたからだ。また、が飲んでいる間も男は酒を飲んでいた。自分よりもこの男を先に酔い潰してしまおう、そういう考えもあったからだ。
(何かおかしい?)
ふと、は自身の体に違和感を感じた。頭の奥からぼうっとするような、全身にそれがひろがっていくような。
(酔ったのか?)
そう思い自分ののんだ量を確かめる。だが、酒量はそれほどではなく。
「どうした?酔ったか?」
尚隆はきいてきた。どこか確信犯めいた表情で。
「いえ。大丈夫です。」
ここで隙を見せてはならぬ、そうの本能が告げていた。
「この酒…うまいか?」
「?…はい。」
「かなり上等な酒だ。」
「はい。そのように見受けます。」
男が何を言いたいのかはわからなかった。この応答の間にも二人はその酒を飲み続けている。
正確に言えば、尚隆が自分の分を入れつつの猪口にもついでいるのだ。
(……やばいな。酔っている。)
自身が酔いを自覚し始めていた。ひとつの疑問と共に。
「上等な酒は、口当たりが良く飲みやすい。同時に、かなり度数も高い。」
「っ!」
「それに気付かずいつもの調子で飲んでいると、今のお前のようになる。」
臥牀から勢い立ち上がる。。だが、それは叶わなかった。酒の酔いが予想以上で足元が覚束なかったことと尚隆に手を掴まれたからだった。
衝撃で一瞬、息が詰まった。その衝撃は、尚隆に押し倒されるという形でおさまった。
「っ離せ!」
「俺は、客なんだがな」
尚隆の余裕そうで且つ楽しそうな顔がの神経を逆なでした。
「ここは、妓楼だ!女を抱けよ!」
「…ああ。だから女を組み敷いている。」
「俺が女に見えるのか?離せ、俺は男だ!」
「なに、確かめることは簡単だ。」
尚隆はの服に手をかけていく。もそれに抵抗しないわけがない。両手で尚隆の胸を押し、どけようとした。だが、尚隆の体は外観から見るよりもがっしりとしていた。無駄のない筋肉がの抵抗を無効化してしまっていた。
(…仕方がない)
の体から、抵抗が消え力の弱まっていくのを尚隆は感じた。あきらめたのかとも、思ったのだが。
一瞬の静寂の後の騒音。妓楼には似つかわしくない鈍く鋭い音。それは、刃物がぶつかり合う音であった。
「っ痛。」
「なるほど。なかなか筋がいい。…が、相手が悪かったな。」
は自らの力を抜き、相手の隙ができるのを待った。そして、懐に隠してあった短剣を抜き尚隆の首元をねらった。
だが、尚隆はそれが分かっていたのだろう。が短剣を抜いたのと同時に、の手首に衝撃を与え、反対の手で自らの剣で、の体を臥牀に押し付けた。
胸を押さえつけられ、は前以上に息苦しかった。剣が鞘に収められてはいるが、尚隆の腕ならばいつ鞘から抜かれるか、いつ自分が斬られるか分かったものではなかった。
力の差もあった。剣の腕も相手のほうが上だった。酒の酔いもあり、思考がうまくまとまらない。
(最悪の状況。最悪の相手。でも、)
尚隆はを見下ろす。の表情を見て、内心、感心していた。
(この状況でまだ、打開策を案じる、か)
諦めることをせず、何とか隙を見つけようと、見逃すまいとしている。その表情をみて。
不意に尚隆の中に黒いものが浮かんだ。泣かせてみたい、と。男独特の嗜虐心、征服欲とでもいうのだろうか。
は両手をひとつに纏められ頭の上に拘束されている。胸元も押さえつけられ、起き上がることはできまい。そして、自身の感情にも嘘をつくことはできなかった。
に興味がある、と。
(?な、に?)
は尚隆の雰囲気が今までと違うことに気付いた。今まではどこかからかうような、楽しむような感じだった。だが、なにやら寒気すら漂うような雰囲気に変わった。否、恐怖すら湧き上がるような。
スラリ、と鞘から剣が抜けたのがわかった。
シュル、と布が切れたのがわかった。
カタ、と体が震えるのがわかった。
クツリ、と男の口が曲を描いたのがわかった。
胸元の布が切られ晒しのようなもので圧迫されていた胸があらわになった。
「やはり、女だったか。」
おびえた顔で自分を見上げてくる。先ほどまでの勢いは萎えていた。震えが伝わってくる。自分の中の何かが満たされていくのが分かった。
もっと見てみたい。
そう強く感じる自分に、思わず苦笑してしまう。
どんなに取り繕っていても、自分は所詮、男なのだ、と。
男の唇が肌をなぞっていくのを確認したときの中で何かが弾けた。久しく感じていなかった感情が。
「っいやあああ」
「!」
文字通りの絶叫。女の声の。今までの男めいたような中性的なのではなく。幸か不幸か、その声は尚隆に理性を取り戻させた。そして、見る。少年、否、少女の涙を。それは、液体から固体へ変わる涙。
「これは、玉か?」
少女の涙は、床の上に落ちるころには玉に姿を変えていた。小さな雫型の紅い玉に。
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