タイトル『紅玉の涙第五章2』
「ただ今もどりました、藍梓。おやおやお客様のようですね」
その日朱衡、藍梓宅に来客があった。朱衡が逢いたくてたまらなかった者。
「お邪魔しています」
意外と低めの声で耳障りが良い。これが朱衡の第一印象だった。挨拶のため会釈をしたには庶民とは一線を画した雰囲気があった。伏礼に慣れているもののような。居住まいをただしている姿に違和感もない。それなりの躾と教養を受けたもののような。
「お会いできて光栄です。さま。」
朱衡がどれほどに興味をもっているか知らない彼女の心中は疑問符だらけだった。
その日の団欒はにとっても朱衡にとっても良いものとなった。彼女には他者との触れ合いが必要だったし、朱衡には確認が必要だった。の性質を見極めるための。
結果、その性質は朱衡の意に適っていた。
は決して口数の多いほうではない。が、それは単に寡黙というのではなく思慮深いということ。それは彼女の発する言葉の端々からも感じられた。知識量も多かったため朱衡は疑問に思った。その量は大学でのそれを超え、実際に官吏になったものほどであった。尋ねてみれば
「本を読んでいました。その、王宮であったり街の古書店に勤めたりして。」
「と、いうことはそういうことがお好きなのですか?」
「…そういう風に考えたことはありません。ただ、生きている時間を無為に過ごしたくなかったのです。」
その言葉に含まれた真意を察したものは少ない。ここではおそらく朱衡しかいなかっただろう。の今、生きている時間の背後には死んだものが多すぎたのだ。、という少年をはじめ藍紫という泰王。そして、こうも考えることができた。戴国を沈めたのは、その要因はにある、と。その場合、亡くなった民たちも数えることができる。
すくなくとも、目の前の少女はそう考えている、その上の発言なのだろう。
結局、その夜は藍梓邸に泊まった。が寝静まったことを確認した藍梓は昼間の出来事を朱衡に話した。
「主上にも困ったものだわ。そういうことが不慣れかどうかだなんて、すぐに分かりそうなものだけど。」
「たしかにそうなんですが。どうも蓬莱でのときのことを引きずっているようでしたよ。」
苦笑しながらも今日の尚隆とのやり取りを思い浮かべる。最期に六太の残した言葉も考慮に入れて。
「でも、それではさまに失礼ではないかしら?どういった経緯があっても、それはそれ。という具合にはいかないのかしら?それに主上はいったいどういうおつもりなのかしら?」
「と、いいますと?」
「思慕の情を持っておられるのか、否か。」
その端的な言葉に朱衡は苦笑いを浮かべるしかない。の世話をし始めてから、どうも妻は彼女に好意を抱いているのは分かっていたが、今の発言は妹にお節介を焼く姉のようなもの。微笑ましいとは言えるがすこし深入りしすぎの感もある。
「さまのほうはどうなのかもわからない。あまり、一人合点しないように。」
「あら?そうでもないみたいよ?少なくとも主上に素肌を見せることを考慮には入れているわけだし。」
「おや?そうですか。主上のほうも台輔が何やら発破かけていたようですよ。」
この瞬間、二人は似たような笑みを浮かべていたとか。
そして後々に伝えられる延国きっての似たもの夫婦の伝承のこれが最初で一番大きなできごとだったとか?
「と、言うように私たちの間で勝手ではありますが思いついたのですが。台輔、いかがでしょうか?」
翌朝、六太の住居へというか寝室にあがりこみ、叩き起こし朱衡は昨夜、藍梓と話したことを六太へ伝える。最初は眠りを妨げられ不機嫌だった六太もその内容を聞くうちに、その顔に笑みが浮かんできた。
「へ〜、いいんじゃないか?尚隆のほうはどうするかだいたい決めただろう。昨日、向き合うように仕掛けといたし。」
「やはり、最後の一言はそうでしたか。」
「うん、気にしすぎなんだよ。それにあの馬鹿、な〜んか臆病じみたとこもあるしな。殊、今までの相手とは種類が違うから。」
確かに、と朱衡は思う。あの王はいつでも、妖艶な男に慣れていそうなものを選んでいた。それが後腐れもなく楽なことを知っているからだろう。その所為もあるのかもしれない。に対してどうも奥手に感じられるのは。
「では、」
「おう。はじめようぜ!」
「さま、今日はちょっと王宮内を歩いてみませんか?」
そう言い出した藍梓には心底不思議だった。今まで、後宮内でも極力動き回らないように言われていたからだ。それには自身も納得はしていた。
(得体が知れないから、ね。でも)
「でも、それはまずいのではないの?」
一応は客人なのだろうが自身は人妖に近いもの。(先日、尚隆には神に近いと言われたがはそのような気は一切なかった。)
「ええ、朱衡からも許可はえていますし、ただ、私と一緒に、という条件付なのですが。」
「それは構わないんだけど。」
「では、行きましょう。何日も室内に籠もられていては気が塞ぎますわ。どこか行ってみたいところはありますか?」
「主上、そろそろ休憩はやめて政務に取り掛かってほしいのですが。」
ちょうどその頃、いつまでも政務に取り掛からない尚隆に朱衡は小言を言っていた。それはいつものことなのだが、
「なーに、俺が一日なにもしなくても延は滅びはしないさ。」
そう、こちらもいつものこと。そして、ため息…と続くはずだった。
「では、この部屋から出て行っていただきましょうか。」
「…何?」
事実、尚隆は自身の耳を疑った。今までに小言は多かったがこのような発言はなかった。
「ここは王が政務を執り行うところ。それをしないというのならいるべきではないかと思われますので。」
「お前の字は“無謀”であったはずだがなあ。まるで“酔狂”と変えたほうがよいようなことを言う。ま、それもそうだな。出て行こう。」
朱衡の発言は、サボっても良いというようにとれなくもなかった。よって尚隆はその通りに受け取って意気揚々と部屋から出て行った。
仕組まれていたとは露ほども思わずに。
「さあ、さま。この露台でお茶などいかかでしょう?」
藍梓に案内された露台は、そこから雲海を一望できるところ。しかも本当に玄英宮の中かと疑うほど質素な造りだった。ちょうど真ん中にある、椅子に腰掛ける。するとそこから雲海と共に端のほうに何かが見えた。額のような角が。
「うん、頂くよ。…??」
(なんだろ、あれ。)
虫干しにでもしているのは確かだが、その額自体が相当の年月を経ているかのように思われた。
「あら、主上。いかがなさいました?」
「え?」
思わぬ単語が飛び込んできては思わず目線をそちらにやる。と、やはりそこには単語と違わぬものが居て思わず昨日のことが思い出されたは目を逸らす。
尚隆もおもわぬ人物と会った。まさか、が後宮から出歩いているとは思いもしなかった。尚隆はの行動に範囲をつけなかった。むしろそれをしていたのは朱衡であり、がここにしかも妻である藍梓とともに居るということは朱衡がそれを容認したことが分かった。
それよりも、尚隆は角に立てかけてあるものに用事があった。
「なに、ちょっと物をとりに、な。」
が尚隆から目を逸らしたことはわかった。尚隆自身も昨日の今日で普通に接することは少々ためらった。が、ソレには用事があった。
「ああ、この絵画でございますか?」
そう言って、いったいどこに持っていたのか藍梓は卓から持ち上げた。
がちゃん、と思わずは茶器を落とした。
尚隆も目を見開いた。ソレは確かに彼の探していたもの。だが、ソレは角に立てかけてあるはす。目線を戻しいそいで確かめる。そこには
『ば〜か』
と描かれた額。
やはり彼の求めていたものは藍梓の手に。
「貴様ら、図ったな。」
絵にはどこか儚い様子をかもしながらも微笑む少女――― がこちらを向いていた。
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