タイトル『紅玉の涙第二章2』

『昨夜のお客様がね、たいへん満足したそうだよ。それに今日は腰痛で仕事どころではないだろうからって。』

尚隆がどのような顔でそれを言ったか、それを考えると腹が立つ。それどころか腹が立つ、という言葉で収めてよいものではなかった。
言葉の意味を理解したとたんに、胃の腑のあたりから熱の塊が顔にせり上がってくる。顔が赤くなる、ということは自分には無縁だと思っていた。しかも、男が要因だ。しかしそれを、尚隆が教えてくれた。今まで知りもしなかったことを、不覚にも。
それは、異性に対して顔が赤くなるのは決して思慕の情からだけではない、怒りからもなるのだ、ということ。
そのように言われたら、外出するわけにもいかなかった。かといって、惰眠をむさぼる、というのも周りが働いているのでするには忍びなかった。だがせっかくの休みだ。その上、今日は快晴でこのまま室内にいるのはもったいない気がしていた
どうしたものかと、お茶を飲みつつ考えていると周りが騒々しくなった。今までも静か、というわけではなかったが仕事中とは違う、砕けた感じの会話が聞こえてくる。どうやら昼餉のための休みに入ったらしい。こちらにも数人、仕事仲間がやってくる気配がしてきた。
「よう、。休みを満喫しているか〜?」
「…ほどよく。」
“仕事仲間”といっても、はそれほどこの妓楼の者達とは親しくは無い。話しかけられれば答え、返事はする、仕事もこなす、だが、一線を敷いている。いつ、ここから居なくなっても良いように。相手にもそれは感じているらしく、このように話しかけられることのほうが珍しいのだった。そのため、も反応に遅れてしまった。
部屋に入ってきたのは、男二人。年齢は、大体四十代にさしかかろうというところか。と同じく住み込みの下働きとして働いている。
「ほどよく、だとよ。」
いやな笑い方だ、そう、は感じた。下卑た、と形容するのか。相手を見下すような陰湿さが含まれている。擬音をつければ、にやにや、となるのだろう。人より優位な立場にいることに優越感を感じ、相手の反応を面白がる、そういった態度であった。
「見目が良いということはそれだけでも得だな。」
もう一人がそう言い、にはその先のこと、なぜ男たちが部屋に入ってきたのかが分かった。
(くだらない。定石通りのことしかできないのか)
嫌悪というよりも、呆れと哀れみを感じるしかなかった。
その態度が男たちにも少々伝わったらしい。
「なんだ、その顔は?若造が。」
「体を売るのならば、それなりのところで働けば良い。」
(くだらない。…餓鬼が。)
人間は見かけと精神の年齢が一致しているとは限らない。この男どものように、外見は年をとっていても中身はそれに見合うとは限らない。この言葉と態度がそれを表している。たとえ、それが怒気によるものだとしても、もう少しましなことは言えないのだろうか、そう思わずにはいられないであった。
「自分は体を売る気などありませんよ。昨夜のことは例外中の例外。催しによるものだからです。女将も、苦笑していたではありませんか。冗談であったのに、と。」
こういう男どもには冷静に対処していったほうが良い。こちらが取り乱せば向こうはそれこそ面白がるのだから。だが、冷静に返すと、予想外であるがために逆に怒るものもいる。今回はどうやら後者だったらしい。
「若造が、女将にまで取り入ったのだろう!そうでなければ、臨時休暇などもらえるものか。例外であろうとも、仕事は仕事だろうが!」
「まったくだ。客に気に入られ、女将に気に入られ、いい身分だな。女将も女将だ。いくら客に言われたからといってそのとおりにする必要もなし…ああ、そうか。おまえ…」

*************

関弓の商店街を少年は歩いていた。頭に布を巻き、髪もその中に纏めているのだろう外には一切出ていなかった。片手には林檎が握られており、もう片方の手には同じく林檎が。食べかけで、握られていた。年のころは十才くらいであろうか。青い目が回りの店を品定めしているかのように動く。その目はある店で止まる。その店は、普段少年があまり近寄らない種類の店。
いわゆる書店だ。その書店は、蓬莱の言葉でいうと古書店、に似ている。延の少学、大学で使われる教科書を仕入れたり、もう使わないものを市井の人々に売ったりなどしているのだった。
少年がその店に目がいったのは、別に本に興味があったわけではない。その店に珍しく、客がいたからだ。
雁は、というかこちらには趣味が読書という者は少ない。蓬莱ではそのような人々がいるらしいが。こちらでは本を読むことは勉強すること。知識を増やすことに使われている。物語などは一般に口語で伝承されることがほとんどだ。よって、この店に入る者は小学などで教鞭をとるものや学ぶものだ。
だが、少年の目をひいたその者は、学ぶにしては身なりが荒れている。否、身なりが良くないと少学などで学べないというわけではない。だが、そのようなところで学ぶには一般にある程度の身分のものの推薦がいるのだ。
小学で学ぶにしても年齢があっていない。その客は、どう見ても二十代前半であったからだ。


は視線を感じ見ていた本から目を上げた。周りを見回してみるとこちらに向かって少年が近づいてくる。しかも、確かに自分をみて。その少年がこの店に用があるとは思えなかった。この中の商品は彼にはまだ理解できないとおもわれたからだ。
(それにしても、変な格好だな。)
頭に巻いている布をさしているのだろう。
そんなことを思っていると少年は、の側にやってきた。
「なあ、あんたこの店の店員なのか?」
ぶっきらぼうというか、生意気そうなというかそんな口調が印象的だった。
「まあ。そんなところだ。」
一瞥して、はまるで興味が無いといった感じに答える。このように返事をして会話が続いたことが無いため、はこの方法をよく使用する。としては他人に印象を残さずにしておきたかった。記憶に残るようなことはしたくは無い。だから、妓楼でもこれまでに勤めてきたところでもそうしてきたのだった。が、
「ふうん。初めて見るな。入って新しいの?」
「…まあ。そんなところだ。」
「りんご、いる?」
「…いらない。」
少年は変わらずに話しかけてくる。
それこそさまざまなことを。名前とか年とか取り留めの無いことだが。

「ところで、はなんで男の格好をしているんだ?」
「男が男の格好をするのはふつうのことだろう。」
「そりゃそうだけど、は女じゃないか。」
「何かの勘違いだ。」
反射的に答えてはいるが内心、は驚いていた。昨日の尚隆に加えこんな少年にまで気付かれるとはまったく考えていなかったからだ。今までも、昼夜のどの職にもかかわらず男として通してきたがばれたことなどなかったのだ。昨夜と例外を除き、だが。

「おまえさん、女なのかい。」
店内は静かなためこの会話は店主の老爺にも聞こえたのだろう。
「いや、この子の勘違いだ。」
そうが答えると老爺はを頭から観察するようにみる。
「うむ、確かに華奢ではあるがなあ。顔の作りもきれいじゃがなあ。ふ〜む、坊、勘違いじゃよ。」
「だって…むぐ。」
少年の言葉は途中で妙な効果音に変わった。
「商売の邪魔だ。爺さん、この子を向こうに連れて行ってくる。」
「そうかい?それじゃ、今日はもうあがりでいいよ。また明日きておくれ。」
そうしては少年を連れて行く。口を塞いだまま、引きずる形で。

「ふむう〜ぐ〜!」
店から少し離れたところでは少年の口を離す。
「っぷはあ。あ〜も〜!」
少年は不足していた酸素を十分に吸い込む。
「だあ、殺す気かよ!」
は一瞥し、そのまま放れていこうとした、のだが、着物の裾を少年に掴まれた。
「何だ?」
「あやまるぐらいしろよな、ったく、」
「スマナイ、サヨウナラ。」
全くの棒読みで、感情もこめていないような言い方では去っていった。
「っておい!…いっちまったか。」
変な女、と思いつつなぜ自分はあの者が女だとわかったのだろうか。確かに見た目はほとんど男だ。声も低い。だが、なぜか自分は最初から分かっていたのだ。何の疑問も無く。
「台補。」
急に少年の足元から声が聞こえる。しかも、声のみで姿は見えない。
「悧角か。」
少年もそれに気にすることなく答える。少年――台補と呼ばれる存在である延麒であり、悧角とは延麒の使令の一である。
「あの者、ヒトでしょうか。」


 まったく、どうなっている。先ほどの少年といい昨夜の男といい、この国ではこうも例外が続く。しかも、職が変わることなどいづれはあるにしろ早すぎた。
 実はそれもこれも、珍しくが短慮を起こしたからだった。

『まったくだ。客に気に入られ、女将に気に入られ、いい身分だな。女将も女将だ。いくら客に言われたからといってそのとおりにする必要もなし…ああ、そうか。おまえ…女将にもその体を使ったんだろう。』


その男の言葉を思い出し、は眉を顰める。女将とは、採用のとき以外は仕事の会話しかしていなかったがその採用のときの女将の言葉がには印象深く、好感を抱いていた。だからこそ、その男(もう、顔も覚えていない)に短慮を起こし店をやめたのだった。あまりに急だったために女将はその訳をに聞こうとしていたが、にその訳を言うこともできず。
その様子を見ていた男たちは、好都合とばかりにあらぬことを女将に言い、女将もに真偽を問おうとしたのだが、結局はその店をやめざるを得なくなったのだった。
(そういえば、あの男。また、来るのかな?)
回想しつつ先ほどまで憤慨していた尚隆のことを思い出す。
(ま、どちらにしても。もう会うことはない。)


その夜、またも関弓に降りてきた尚隆は前夜の妓楼を訪れ、が辞めたことを知るのだった。


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