タイトル『無色透明の世界』
「っ!はぁはぁ…ゆ、め?」
はいきなり起き上がる。最近良く見る夢のせいで寝不足もいいところだ。きしり、という床の音を聞きながら不図視線を自身の横に移す。
そこには、この国の王が静かに寝息を立てていた。
その寝顔からまだ、健やかに寝ていることが伺えた。
ほっと安堵する。もし、気付かれでもしたらと考えると憂鬱になる。一応、王后という立場になってから3ヶ月ほどたったくらいか。それでもまだ、は慣れない。特に政治に関わるわけでもないからそれは余計に強かった。だが、そのことにが不満などなくむしろ、ソレを望んでいた。
女に溺れて国を傾けることもある。事実、には戴極国という負い目があった。
そのことを含めて、尚隆はを側に望んだ。それはにも良く分かっている。それなのに、最近夢を見る。あの頃の、戴でのこと、のこと。
今までも時々見ることはあったが、ここまで連続して見ることなかった。きっと一生この夢は付いてまわる。は自覚していた。忘れないように見ているのだと。しかし、連続して見始めて今日で1ヶ月。
この夢を見た後には、眠ることはできない。見始めたきっかけに心当たりがある分、は尚隆にもこのことは言えないし、まして藍梓にも言うことはできない。
(なんとかしなければ。)
自身の両腕を掻き抱いて、俯く。そうして我知らずか嘲笑を浮かべる。
(こんなに弱くなってるなんて。なんとかしなければ。)
そんな様子を、尚隆は薄目を開けて見ていたのだった。
「さま?いかがなさいました?」
の様子がおかしいと、藍梓は確信していた。連日に続き、顔色は優れないし食も細くなってきている。も何とか誤魔化そうとしているのだが、それは些細な差異からほとんど藍梓に見抜かれていた。けれども藍梓は今日までそのことについて触れなかった。が隠そうとしていることも目に見えて明らかだったからだ。
今日に限って言ったのは、藍梓の我慢が切れたからとしか言うことはできない。1ヶ月なのだ、その間の様子は悪くなる一方で回復の兆しがまるで見えない。
「なんでもないよ。」
の返事も藍梓には予想通りのもので、ここで引くようではこの王后付きは務まらないと自負している藍梓であった。
「そのように見受けられないので申し上げました。
ここ一月、食も細くなる一方のようですしお顔の色も優れませんわ。今日はお勤めもおありですし。」
は立后したと同時に府庫の管理を任せられている。府庫とは、国に関するものや市井に流布されている書籍を管理するところでその役職は末端といってもいいほど低いものだった。そして近年までそこまで手が回らず、適当な人物もおらず放っておいたのだがソレが問題となった。管理されるべき書物が市井に流れてしまったのだ。そこで、ちょうど市井ではそういう場所で仕事をしており尚且つ玄英宮に登っている者、ということでがそこの管理を担当した。
「仙籍にあがったのだから大丈夫。それに仕事はおろそかにしてはいけないと思う。」
「仙籍にあがられたからといって、きついことは変わりありません。それに王后という立場上、体調を崩しているなどあまり感心されませんわ。」
痛いところをつかれた、と内心苦虫を噛み潰したように感じる。
そう、今のところを認めているものは両手で足りるほどなのだった。
気に食わないものたちはの何かに付けて(それは本当に取るに足らないところを)目敏く見つけては一言言う。もし、体調のことなど知られようものなら尚隆への迷惑が掛かる。ソレだけがの懸念だった。犠牲的なほど、自分を卑下しているわけではないがどうしても立場という目に見えない世界がの目を阻む。
「大丈夫、尚隆の迷惑にはならないようになんとかする。」
「…ということはやはり体調が優れないのでございますね。」
「あ!?」
はあ、と深くため息をつき藍梓はに言う。
「気休めかと思いますが、薬湯をお持ちいたします。さま、主上にはもうおっしゃいましたか?」
藍梓の心遣いに感謝しつつは首を横に振る。
「(やっぱり)…主上には申し上げなさいませ。そのほうが主上のためでも、さまのためでもありますわ。」
藍梓の後姿を見ながらは一人呟く。
「言ってもどうにもならないもの。」
その頃尚隆は、不機嫌極まりないといった表情で執務に取り掛かっていた。
「おい、どうした?このくらい大したことではないだろう。」
唯端はそんな様子を執務に対してのみと思ったのだろう、あきれ返って言った。
「主上に置かれましては奥方のことでお悩みですか。」
朱衡は容易に想像がつくとばかりに言ってのけ、その言葉が尚隆の感に障った。
「何か知っている風だな。」
「藍梓が最近、様子がおかしい、おかしいとばかり言っておりますので。おかげでこちらの生活にも支障が出ているのでございます。」
最後のほうは嫌味ということを顕にして尚隆に視線を送る。
「ふん、一体いつの生活やら。
分かっている。眠れていないのだ、睡眠薬を投与していてもな。」
尚隆も気付いておりどうも寝つきが悪いらしいということまでは分かったのだが原因を話さない。自身で解決しようとしているのも分かるが、悪夢からの目覚めがあまりに不憫で昨夜はとうとう睡眠薬(無味無臭)を投与した。にもかかわらず、効き目はなかった。原因の検討がつかないわけではない。だが、
「ですが、この場はさまが乗り切らなければならないことかと。」
「わかっている。お前達くらいだからな。を認めているのは。」
なまじ、勤めているので風当たりも強い。ただ、後宮に篭っているだけならばそれも回避しようがあるのだが。それでも、
「この国のものにを認めてもらいたいと思うのは我が儘なことか?」
苦笑しながら呟いた、尚隆の言葉は果たして王としてなのか、夫としてなのか。
府庫はちょうどいい気温で、先程飲んだ薬湯が効いてきたのかは文献を読みながらうとうとしていた。
そうして音を忍ばせながらやってくる悪夢を見るのだった。
『幸せに…』
『さあ、今日も泣いてもらおうか』
『一人じゃなく認めてもらえるさ、いつかきっとな。』
『玉を生み出してもらおう。』
『バケモノ!!』
「うっ!!」
「…い、……おい!!起きろ!!!!」
「えっ?」
ぱちりと目を開けると目の前には尚隆が怒ったように覗き込んでいた。
何に怒っているのだろう?と疑問に思いつつやっと覚醒したのか今は自分は勤務中であることを思い出した。
「あ、ごめん。」
そんな様子のに憮然としたまま尚隆は聞く。
「どれがだ?どれを指しての謝罪だ?」
「え。勤務中に寝ていたこと。」
「ふん、それくらいで怒るほど狭量ではない。」
妙な沈黙が二人を包む。は、尚隆の言葉を反芻する。どれが、と聞いたということは要因がまだ他にあるということ。はて、なんのことだろう、と模索していた。あくまでは尚隆に何もばれていないと思っているのである。
沈黙は続く、ソレをやぶったのは府庫の外から聞こえる官吏達のあざけるような声。
『玄英宮も堕ちたものだ。人手が足りないからといって市井の無知なものを取り上げるとは。』
『しかも聞いたか?そのものがどうやって王后にまでなったか。妓楼に勤めていたらしい。』
『それはそれは、大した体でもなさそうだったが余程な技を持っているのだろうよ。』
言うだけ言って官吏達は通り過ぎていった。わざわざ、中に聞こえるように言う。しかも姿は見せない。声だけならばに誰かなど分かりようもなかった。は朝議にも出ず政治には一切関わっていないのだから。
「…」
「…」
先程とは違う沈黙が占めた。
「言っておくが、あれらのことは知っている。お前が夜、うなされていることも知っている。
ソレを踏まえてもう一度聞く。俺が何に対して怒っているかわかるか?」
幾分、先程よりも落ち着いた優しい声音。は先程の藍梓の言葉を思い出した。『主上には申し上げなさいませ』
「言わな、かったから?」
「そうだ、例え言ってもどうしようもないと考えていたんだろう。たしかにコレを乗り切るには、お前がどうにかしなくてはならない。
俺が一声かけて解決するのが速いがソレでは意味がない。それでも、直接お前から聞きたかった。」
「…最近、ずっと昔の夢を見る。藍紫やのこと。」
「ああ。で?」
ずっと不安なこと。自分の中の無色透明な世界に対する不安。
「忘れない、ために見ていたの。今までは。でも今は確実に自身の弱さからそれを見ている。
ねえ?尚隆、知っていた?私あなたと知り合うまでほとんど泣かなかったの。と別れて以来ほとんど。ずっと独りきりだった。だから、怖い。
あなたは暖かいもの。慣れてしまうのが、怖い。失うことを考えたら怖い。
怖いことばかり、こんなにも弱くなってしまった。」
無色透明な世界には、未知の恐怖で一杯だった。怖い怖いと考える自分なんて今まで知りもしなかったことなのだから。
うずくまり吐露するにそっと、だが力強く抱きしめる尚隆。
「弱くなどない。ソレは俺も同じことだ。言ってくれないのはどうしてなのか、とずっと考えていた。
俺も怖いことくらいある。誰にでもある。一人で抱えきれない恐怖を二人で分け合うために伴侶というものがあるのではないか。少なくとも俺はそう考えている。」
床に紅玉が落ちていく。
今まで見ていたものとは違う気持ちでそれを見届けたであった。
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